岐阜県御嵩町の中山道御嶽宿行ってきました。
町名の『みたけ』は御嵩の漢字だけど 宿場の漢字は
岐阜と長野の県境にある御嶽山(おんたけさん)と同じ字を書くんですね
町並み的には宿場町漂う感じが続いている様子ではなかったですが
中山道みたけ館がなかなか面白かったです
建物の横から入って奥と隣に駐車場があります。
入って正面の階段を上っていくと展示スペースがあります
階段をのぼって開けたロビー奥が入り口になります
御嵩町の遺跡や建物から見付かった品々が時代順に展示してあって
かなり広くかなり多くの展示品で見応えありました
本当に広いです
大量の展示物の中で なぜか喰いつきぎみに見いってしまったのが
下の画像のこれ
天保14年(1844)5月16日 近江国蒲生5千国の最上采女助義昶(滋賀県の最上義昶さん)
が宿泊した際に出された夕食と朝食の献立表と再現した膳だそうです。
令和の時代 これ出されても全然OK
へぇ~て感じでかなり興味津々でみてしまいました
御嵩町は亜炭の採掘をしていた町だったそうで
使っていた道具などの展示もありました。
ちなみに亜炭とは石炭になれなかった石炭だそうで
発熱量が低く家庭用燃料として使われたそうです。